古くなった言葉

 今はもう一所懸命、一心不乱というような成句を見ることがなくなった。情報、合理主義、コンピュータリゼーションが、現代人、殊に若い人たちの意識構造の底辺に定着してしまった。私たちが年少の頃から自明であった精神、生活秩序の基準をおしえてくれたこのような言葉は古くなったのだ。
 
 ところで頃日(けいじつ)亡くなったある先輩だが穏当で過不足ない仕事を完(まっと)うされたすぐれた建築家で
あった。特に明治建築の懐旧宣揚のために払われた努力は尋常なものではない。・・・
 明治は日本近代の若い時代であった。経世も技術も文化もヨーロッパの手本を一筋に追った。そして都市的な具象近代を手中にするために気鋭な建築家をイギリスやフランスへ遣(や)る。それこそ彼らの一心不乱、一所懸命な勉強のおかげで、とにかく近代国家の表向きの体裁が整えられるようになった。私は以前から明治建築を私なりにあるいは苛酷な見方をしてきたかもしれない。ヨーロッパの十九世紀建築は古典・中世・バロックという厖大な建築史の中では、けっしてグラン・エポックとはいえないが、ロンドン、パリは言うに及ばず、ザクセン、バイエルンの偏境にさえ堂々たる建造物が櫛比(しっぴ)していた。渡欧した日本の建築家が、その外観の偉容に圧倒され、しがみついたのはもっともであっただろう。・・・ヨーロッパの一級のものから学ぶにはまずギリシャに始まる建築史大系肉化の土台が要り用であった。・・ 残念な話だが、当時、留学の目標には悠久な理想への志向は稀薄で、インスタントで効率的な模倣が主題であった。 
 
 私は明治の西洋建築移入の次第をこのように見てきたが、このある意味の止むを得なかったとされる蹉跌(さてつ)は彼らの科(とが)とはいえないにしても、文明・芸術へのスケールの大きい展望と見識、そういう創造家の資質をもった指導者がまだ育つに至らなかった遺憾は蔽(おお)うべくもない。ともあれ明治のヨーロッパ建築移入者が生活、教養の不備とたたかった文字通りの一心不乱、一所懸命には様式のそこそこの模倣の結実や禍根への懐(おも)いとは別に、涙するほどの同悲と敬意を表せざるを得ないのである。  (中略)
 
・・・文明はインスタントで効率的である。明治の建築家や私たちが体験した不合理で理想主義的な一心不乱や一所懸命を導くような、移動や勉強の艱難(かんなん)を、いまの若い人たちは想像もしないであろう。・・・・しかし私には
これらの新建築にくらべれば明治建築がどんなに謙虚で純情に見えることか、その可憐な姿の一心不乱、一所懸命が身につまされるのである。                 ――1979年4月
 

    (カッコ内の読み仮名を付記して、カタカナ用語は現代の一般的な表示に変換してあります。・・・は中略)



  
  詩と建築
―― 谷川俊太郎との対談より

白井:詩と建築、この二つの世界では直接な精神的交流は稀薄だったとおもいます。・・・とにかく詩と建築が古い時代から今日の時点まで、どのように関わり、また関わることがなかったか、日本とヨーロッパのそういうちがいの真相を了解するのはさほど難しいことではありません。まず日本では建築が文学や詩の主題となったことは殆どありませんね。・・どちらにしても詩は人間内部の世界から吐息のようにでてくるものだし、建築は、人間のいわば外の俗な「用」にこたえるためにつくるものだという原理的なちがいがありますね。わたしは詩といっても詩聖とか天才の詩だけを漠然と詩世界の全体などと考えたこともなく、「つねに自然にも人間にも謙遜で公平、クロノスの秩序に逆らわない、そういう大きな普遍に属する人々」の詩に感銘してきました。有名無名は関係ありません。

谷川:そうですね。詩というものは、まがりなりにも小学校の教科書にものってるわけですけれどもね。建築を普通の勉強している人間が学ぶということはあまりありませんね。・・文学としての詩、特に朔太郎とか光太郎とか、そういう天才たちだけの詩を考えていると、詩というものは非常に孤立した何か純粋なものである、というふうにおもいがちなんですけれども、詩というものはそういう天才たちだけの仕事の中にだけある訳ではなくて、もっと裾野の広いものだ、というふうに僕はここ何年か理解しているような所があるのですけれども。

白井:・・私が共感できる詩というのは、稀有な天才の孤絶や高邁な教養を土台に生まれてくるものよりも、どちらかといえば、生命の底から出てくる素朴な人間の吐息そのもののような詩です。・・

谷川:書かれて言語化された詩だけが詩ではなくて、やはり建築の中でも詩的な建築というのがあり得るという気が
するんですね。例えば、われわれがある建物の中に入っていって、そこの空間の佇まいに打たれることがありますね。それが非常に機能的にできている空間でいい、と思う場合もあるし、それから、そういうものでは割り切れなくて、なぜかよくわからないけれどもその空間にある感動を覚える、というような時に、やはり、そういう感動に詩的という言葉を使っても構わないし、それが一番ふさわしいんだと思うこともあるんです。・・

白井:ある建築に詩的感動があるとか、冥想を導く宗教的空間だといわれることがあるとしても、その空間を体験する人間との対応によって触発される主観的な感情移入の問題にとどまることであって、それを造形の意匠や構造から抽出、分析しようとするような試みは論理の本筋から外れます。・・

谷川:建築に哲学、詩というようなものはなくても、思想というものはやはりあるのじゃないでしょうか。(中略)

白井:・・・気配として感じるのは自由ですが、建築の質となる意匠や構造や機能には思想も哲学も直接な関係は
ありません。わたしは以前に「思想の通路」ということを言いましたが、これは建築に思想があるというのではなく私のつくる建築がどういう思想にせよその通り路にはなれるだろうといったつもりでした。

谷川:そうすると、建築家が、やはりその建築家でなければ設計できないある個性的な、・・ものを作る場合の、
その原動力になるものはどういうものなんでしょうか。

白井:・・やっぱり「人間」、くわしくいえば「人間の内容」としか云いようがない。そうならばその「内容」こそ
問題なのです。・・建築という物の質に形而上の問題をからませるのは間違いだと思っています。・・・
用に奉仕するためにつくる物を概念仮託の表象におきかえるというのは筋の通らぬ話です。・・・

谷川:白井先生がプリミティブなものと繊細さというものを結びつけられたというのがおもしろかったのですけれども、おっしゃるように、これからプリミティブなものの中にある活力を探そうとしても、ある知的な行ないなしではそこには
行けない。・・・
          (中略)
白井:今日のプリミティブに就いてのお話は、建築世界というより、芸術創造一般の問題として、殊に私にとっては未知でありながら、年来畏敬の対象であった詩世界におけるプリミティブを伺うことにだんだんしぼれてきたように思います。
 そしてなによりも創造目的の基準たらざるをえないオリジナリティに必然の方向を暗示するプリミティブへの感応と体得に対する詩人の姿勢はどのようなものか、お訊きしたかったのです。私も私なりに隔靴のもどかしさながら、・・実はどこかで機微な印象の切点(=接点)を示唆されるインスピレーションに恵まれたい。そういう期待をもっていたに違いありません。この後もこの念は続いてゆくと考えています。・・
                      ――『白井晟一研究W』(1982年11月15日発行)より

                   
(・・部分は、簡潔にするために原文を中略してあります)



  
 仏教と伽藍
   建築学生のために  

 日本は仏教国といわれる。しかし、ヨーロッパのキリスト教、あるいはアジア、アフリカのイスラムにくらべて、宗教的な密度や比重では、仏教国とはいえぬという。歴史のはげしい推移につながる経済・政治とのかかわり方でも、その消極的な、無関心ともみえる間接性のために、このような比喩は認めなければならぬかもしれない。
 だが、大多数の日本人の庶民的な日常生活における仏教的なニュアンスや、八万の寺院、十数万といわれる僧職を擁する事実は無視するわけにはゆくまい。ことに千五百年も生きてきた日本文化の伝統をふりかえってみるとき、われわれにとって、仏教は中国、インドのそれとくらべられぬほど、深い契縁をもつものといわなければならない。       
 (中略)  
 伽藍は発祥の意味からいっても、死者儀礼や厚生事業の場として足りればよいのではない。どこまでも人間内実の改良にかかわる責任と、平和の質の純化を祈る世界性をもった建築造形だという誇りがあってよい。そうなればおのずからシャカの自由精神に近づき、誰にでも自発的に人間内部の葛藤を滅却させる戒律が思い浮べられる雰囲気の望まれるのは当然である。厳浄・静謐な空間だ。
 われわれが幼い時から寺になじめなかったなによりの理由は、中国建築の影響の強い呪術趣味の装飾がかきたてる幽霊連想ではなかったか。天国の様式を金箔でディスプレーする幼卑の裏には、貧しい民衆の射倖心に投ずる智恵の浅い商売の腹もみえよう。悉皆金色の浄土にははるかな黄金地獄の舞台装置だ。それもまた輪廻という、ある意味では残忍な刑罰思想で業死の恐怖感を誘い、かえって大衆の属性を近づかせない教権意識の伝統的な操作というほかなく、今日なおほとんどの寺院に固執されている迷信の汚染といわなければならない。
 戦後に再興された寺院の多くは、清浄簡潔という最も重要な様式を忘れた、あいも変らぬこうした怠惰か護教かの伝統主義、そうでなければ増大する民主思潮の表面的な世界意識に迎合して、突然変異の外来様式を踏襲する現実主義のいずれかであって、すでにそれらの様式と生産の循環ははじまっている。亜流・模倣はお家芸だが、たとえ一時的にもせよ、エゴイズム解放に集まる善男善女に仏道の実感を伝えるには、なにか宗教主体の終末感というか、血液の異なった救いのない気配しか感じられぬ。折版構造の壁で囲み、ハイパーボリック・シェルの屋根をのせる伝統克服の勇気はよい。だがテクノロジーの選択も、民族感性の質に昇華された自覚的な創造知性の体験をくぐってくるのでなければ、すくなくとも主体性の確かさが求められるこうした表象の造形には奉仕できない。
 仏寺も仏像と同じように、けっして神秘的なエクスタシーの能力として求められるものではない。しかし、人間内面へ沈潜する雰囲気のなかで、瞑想という主体の実践を包む空間として、聖と俗との最も高い調和を導くモメントとなることも忘れてはなるまい。今日のプロパガンダの喧騒のなかでこそ、市民生活にとって精神的レクリエーションのための静謐な空間は、ことにたいせつにしなければならない。
 今日の仏教には、歴史と人間との対決に、真摯なおそらく最終的な自覚が迫られていると考えられるのだが、仏寺の建築に従事するものにもまた、僧侶の戒律再生による教学・体験の一致に匹敵する創造粛清へのすさまじい執念が求められてよい。いずれにしても仏道の本然である実践理性解放の目的論的な世界観の回復に照応して、もし繁栄と破滅の谷間で昏迷する文明の誤りのなかから民族の感性をひきあげ、精神の改良を導きうるような清冽な空間の創造が可能だとしたら、そうしたもっともヒューマンな想像力への確信はまた、われわれの前に否応なく開かれた宇宙秩序のイメージに答える無碍な創造への参加も望みなきにあらずとするだろう。
                
(一部カタカナ用語は現代の一般的な表示に変換してあります)

  
 
  
   縄 文 的 な る も の   江川氏旧韮山館について      白 井 晟 一


西洋人が20グラムのダイナマイトで小鳥を射落とす.日本人は目を見張りつづけてきたのである.風は吹きまわってこの頃はヨーロッパもアメリカも日本ばやりだという.世界の創造的な建築の中で最上のものを発見してくれたり、インスピレーションと力の偉大な源泉だと称讃してくれる人もある.細い棒を鼻や顎の上に立てて見せるこまかい芸当が、拍手されているのでなければ幸だと思う.だがこれはバルバロアの反省の表現であるかもしれないし、もしまた商業主義の有用な素因として喝采されていることだとしても、それは畢竟海の向う側のことである.しかし元来日本自身の伝統探求のオリエンテイションにははなはだ問題がある.伝統の表面に典型がうかぶのはやむを得ないが、価値概念として固定化し、その上情緒や繊細や簡素という感覚的皮相の墨流しを器用に移しとっては、これを日本的なものとしてノミナライズしてきたことはなかったか.そしてそれがいつの間にか形象性の強い弥生の系譜へ片寄った重点がかかり慣習化されてしまったということはないだろうか.
私は長い間、日本文化伝統の断面を縄文と弥生の葛藤において把えてみたいと考えてきた。一建築創作家としての体験である.ギリシャ文化におけるデュオニュソス的・アポロ的対立にも似た、縄文・弥生の宿命的な反合が民族文化を展開させてきたという考え方は、究竟では日本の個有な人間、歴史性に日本的形姿として定着させたアポステリオリなものの偏重への反省であり抗議である.さて流行するジャポニカの源泉となり、日本の建築伝統の見本とされている遺構は多く都会貴族の書院建築であるか、農商人の民家である.江川氏の旧韮山館はこれらとは勝手が違う建物である.茅山が動いてきたような茫莫たる屋根と大地から生え出た大木の柱群、ことに洪水になだれうつごとき荒荒しい架構の格闘と、これにおおわれた大洞窟にも似る空間は豪宕なものである.これには凍った薫香ではない逞々しい野武士の体臭が、優雅な衣摺れのかわりに陣馬の蹄の響きがこもっている.繊細、閑雅の情緒がありようはない.見物人がためつすかしつするような視覚の共鳴をかち得る美学的フィクションはどこの蔭にも探せないから.保護建造物には指定されないし、もちろんジャポニカの手本とはならない.それに機能といえばこの空間は生活の智恵などというものではない.逆算の説明は御免蒙るだろう.だから文化の香りとは遠い生活の原始性の勁さだけが迫ってくるのだ.けれども蛮人の家ではない.遠くは地方の一豪族であったか野武士の頭領であったか知らないが、近代戦術の創始者であり、すぐれた経世家として日本開運の契機を作った江川太郎左衛門よいう立派な武士の系譜をつないできた居館である.虚栄や頽廃がないのは当然だが、第一、民家のように油じみた守銭の気配や被圧迫のコンプレックスがないのは何よりわが意を得たものである.私はかねてから武士の気魂そのものであるこの建物の構成、縄文的なポテンシャルを感じさせるめずらしい遺構として、その荒廃を惜んでいた.最近は蟻害ことに激しく、余命いくばくもないといわれているが、「友よ、そんな調子でなく、もっと力強い調子で」と語ってくれるこのような建物は何とかして後世へ伝えたいものだと思っている.
縄文の原型、蓄積、持続の筋道に関する究明や、その強靭な精神の表現を完結した典型として発見しようという試みは往往附会に堕ちたことを知っている.われわれ創るものにとって、伝統を創造のモメントとするということは結終した現象としてのTypeあるいはModelから表徴の被を截りとって、その断面からそれぞれの歴史や人間の内包するアプリオリとしてのポテンシャルをわれわれの現実において感得し、同時にその中に創造の主体となる自己を投入することだといわねばなるまい.空海や時宗、あるいは雪舟、利休を思う時、私はそれらの人人や時代のうちに生きていた縄文的なポテンシャルの切迫した脈搏を感ぜざるを得ない.人と時代の生活・精神を普遍妥当なリアリティにおいて統一し、これを永遠なる価値に昇華させる力量は、あるいは個性や時間を超えたものであろう.それは企てがたい稀有かも知れない.だが、消長こそあれ、民族の文化精神をつらぬいてきた無音な縄文のポテンシャルをいかに継承してゆけるかということのうちに、これからの日本的創造のだいじな契機がひそんでいるのではないかと思う.
           ――「新建築」1956年8月号(8月25日発行)より 原文のまま


  
    め し

(前略)
 この世から諸々の雑音とともに装飾が消え、企てをしなくなったらどんなにすがすがしいか。そうなったら人間は真に感嘆すべきものに目をむけるようになるだろう。コマアシャリズムと恣欲にかりたてられて喪われてゆく人間性が、もう一度、理想の色をした空の下で、生き生きと回復するだろう。
 美は人間が作るものとは言い難い。求めて得られるものではない。人間にはただ表徴と抽象の能力が与えられているだけである。
 洞窟内の引掻画や土偶は、原始人の生命意志の表象であって美の意識がつくったものではない。飛鳥仏の微笑もアッシジの小鳥説法も美が目的ではない。人間が聖なるものにむすばれんがために祈願と求法の象徴としてつくったものにちがいない。美の予想のないところまた機械における美と異なるものではないだろう。「美」は究竟において「用」の属性にすぎず、残忍酷薄の大慈悲がわずかに許す老婆心切の「美」のみが考えられるだけである。
 「用」から「美」を独立させたときから自然力としての人間は誤られ始める。「美」をつくる術が人間の手にあると思い上ったときから、人間の生命と自然の根本法則との連着が断ちきられてしまった。それからの人間はあけてもくれても「用」と「不用」の闘いを続けざるを得なくなったのである。
 私はさきに「豆腐」の美を「用」のうちに規定した。人間の智恵と自然の理法の善における調和をもって他の「美」と区別した。 しかし、かかる区別は畢竟、極限としての価値においてなお「用」と「美」の対立を内包するものである。
 さて「めし」は「豆腐」よりもなお自明な「用」である。最小限から最大限の「用」を形成し、それ自体に善と悪の生命と法則を内有する。ここではもはや「美」は「用」の属性として規定されることも許されない。無自覚な徳と力の実践原理となるときにのみ「美」同一を認めるだけである。
 人間とその仕事がまだ自然と適切な繋りをもっていた時代から、すぐれた自然法の体得者であったわれわれの先祖は、粒々辛苦の米稲をつくっていた。彼らの「土」のもっとも深い所から湧く水と、清祓の火によって炊かれた「めし」はまず「神」に捧げられ、かれらの生を養うのは天の恵与たるその残滓であって、感謝と祈りによって再びこれを神に還元するのである。 (中略)
 「生」と「聖」を、「めし」において契合統一させたわれわれの祖先は、やがてこの祈りを共同体精神文化の背骨とするのである。弥生文化は「めし」の文化であった。(中略)
「めし」の善意は、人間の地獄と天国を見つめざるを得ない。ことごとくの相剋は、人倫の愛の中に解放すべきものだとする叡智は、与えるものと受けるものの調和と一致のためにどのような心と力とを人倫の「母」に賦与するのか。
一つの櫃から分配される「めし」の椀を満たすのは必ずしも等しい量ではない。幼きもの、壮なるもの、老いたるものは、自然の分に従ってそれぞれ異なる配分を受ける。過剰も貧困もともに悖理だからである。
 日本の「家」は母の愛を中心に大きな自然の意志をもって個人を止揚する毅然たる秩序に支えられている所に特色がある。 



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めし

2025 .4. 1. Last Update
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